611: 605 05/02/06 23:01:25
うちは結婚前から相当嫁を傷つけていた。
強くて、たくましくて、頭がきれて、俺より稼いでた。
嫁が仕事をしている姿に惚れて付き合いだしたわけだが。
長くなるし、スレ違い気味になるかもしれないが、俺の体験談でよければ
メモ帖で推敲してからうpしてみるな。
しばらく時間がかかるけどそれでもいいのかな?
それから、嫁の職業は具体的に書くと特定が容易な職業なので
たまにぼかして書くよ。
三年以上さかのぼるから、記憶を手繰りながら書いてみる。
たのむ。待ってるよ。
では、本当に長くなるけど、いくつかに分けて貼ってみるよ。
トリもつけておくな。
嫁と俺は趣味のスポーツで知り合った。
明るくて大声でわらう笑顔がよくて、強くて逞しいし、会話も上手で飯もうまい。
セーターも編めるし、日曜大工も得意だし、自営で俺より稼いでた。
とにかく、こんな女と結婚したかった、まさに理想だった。
彼女の実家は距離にして1000キロほど離れている。
付き合いだす前に、5歳年上で、片親育ちで、自分は母親の籍なので日本人だけど
父親は韓国人だと告げられた。
そんな事は俺にとってはどうでもよかったが、
結婚しようと決めた時に俺の親が猛烈に反対してさんざん彼女に辛い思いをさせてしまった。
遠距離だったからわざわざ来てくれても、母親は半年は会おうとさえしなかった。
一緒に居るのを知っていながら俺に電話をかけてきて、「今いるのか」と聞かれるから
「隣にいるよ、変わろうか?」と言っても「話す事は無い」と断られ
、正月も一緒に居るのがわかってて俺にだけ実家に来いと言われ、
俺はホテルに彼女を置いて一人で実家に行ってしまったりもした。
そんな時彼女は妊娠した。彼女はとても喜んだ。
しかしそれを母親に告げると
「そんなふうに育てた覚えは無い」「おろさせろ」と泣きつかれ、
自分も親に泣かれた事に対してパニクってしまって
つい彼女に言われた事を漏らしてしまった。
彼女は自分の生い立ちを今まで努力ではねのけて、
奨学金を貰いながら大学に行った後は五年で奨学金を完済したと聞いた。
自分の努力ではどうしようもない自分の生い立ちの事で反対されているのは
彼女にとってはひどい拷問だったろうと思う。
その頃彼女が夜中に苦しそうにうなされて「すみません」と誰かに謝ってたり
泣きながら大声をあげて目を覚ますことがだんだん増えてきた。
彼女が自分の家に帰ってしばらくしてから、流産してしまったと聞いた。
その時、すこしだけホッとする自分が居た。
そんな俺の気持ちも彼女には伝わってしまってただろうと思う。
今にして思えばその時の俺はまだヘタレで、親が反対しているのに結婚する事が
どうしてもできなかった。
俺の実家は少しばかり土地や財産があり、親は親族で会社を経営していたので
「どこの馬の骨ともわからない、財産狙いであんたをたぶらかしたかもしれない」
と彼女の事をそう言った。
彼女がそんな事を知るはずが無い、と何度言ってもその時は無駄だった。
何度も親族会議が開かれて、俺が呼び出されるたびに彼女は辛そうな顔をしていた。
俺が「とにかく結婚を許してくれ」と言い張るので
最終的に「まず彼女の実家に行って様子を見てこい。話はそれからだ」といわれた。
それを彼女に伝えると泣きながら
「見て来いとはなんだ。おまえの親戚は何様なんだ?」と言われ
俺も腹が立って「おまえとか何様とはどういう意味なんだよ?なんか悪いのか?」と言い返したら
「普通は会って来い、でしょう。見て来いってなんなのよ!!
あんたが親を大事に思うように、私だって親が大事なんだよ。」とどなり返されて
あらためて親と親戚の発言のひどさに気が付いた。
それからも母親は彼女に会おうとせず、自分の弟(俺にとっての叔父)を寄越すと言ってきた。
彼女は「なんで親戚が最初に来るの?
どうして叔父さんと先に会わなければならないの?」と嫌がってたが
「こっちではこういう事は結構あることであたりまえなんだ」
とにかく会わないと先に進まないから、と説得を続けて無理矢理会わせた。
そんな事が一年近く続くうちに、彼女は不眠症になっていった。
一緒にいるときに「最近火事が多いねぇ。消防車がよく通るねぇ」と言われ
俺にはなにも聞こえなくて、それが彼女の耳鳴りか幻聴であることを知った。
とにかく衰弱してしまい、会った時の輝くような彼女とはうって変わってしまった。
彼女は泣く事が多くなり
「聞いてしまった事は無かった事にできない。あなたの親をわたしは一生許す事ができない」
「こんな状態では結婚できない。もう別れよう」と何度も言ったが
「とにかくもう少し待って欲しい。なんとかするから」と言いつづけた。
どうしても彼女と結婚したかった。
俺は意地になって親を説得してとにかく一度会わせたら、入籍しようと思っていた。
正直、親の事をそんなにひどい人間と思いたくなかった。
無理矢理実家に連れて行って会わせる機会をつくり、
とにかく結婚するという事だけを告げた。
彼女の希望で結婚式をしないつもりだとも言った。
その時の彼女の顔色が真っ白で、ただ頭を下げていたのを憶えている。
俺親は会って話して、きちんとしているし頭もよさそうだという事で
手のひらを返したように、というか
自分がやった事はすっかり忘れて嫁が気に入ったようだ。
俺はほっとして「しょせん田舎の人間だから今までの事も悪気は無いんだ」
と嫁に言ってしまったらしい。
結婚してからも嫁は仕事を続けるために一年のうち八ヶ月は別居だったが、
すっかり明るくなり、元に戻ったと安心しきっていた。
あんな事があったのに、そんなに早く心の傷が治るはずなかったんだよな。
しばらくして、俺の親の顔を立てるために結婚式を挙げようと嫁が言い出した。
嫁の意思がほとんど通らない式になるのはわかっていたのに
嫁からそういってくれた。
結婚式は親の仕事関係の付き合いのあるホテルに決まっていた。
招待客120人のうち100人は俺の方。それも8割は親の親戚、仕事関係者。
衣装選びには俺の親もついてきていた。料理にも口を出した。
衣装もウエディングドレス以外は俺親の意見を取り入れてくれたようだ。
式を挙げるひと月前に、また妊娠がわかり、
式をキャンセルしたいと親に申し出たが却下された。
妊娠がわかってから嫁は大事を取り、仕事を休んで一緒に暮らしていたんだが
そのころから親の干渉が激しくなってきたようだ。
戌の日、アポなし突撃、お宮参り、子供用品の買出し、初孫披露その他今までもろもろの事。
そのたびに実家に呼び出されていた。
何度も言うが、俺はずっとあたりまえの事だと思ってたんだ。
嫁は28時間陣痛と戦って最終的に帝王切開で子供を産んだが、
三日目に俺の家族が病院にやってきて
子供をここに連れて来い、見せろ、抱かせろ、写真を撮れと大騒ぎ。
実家にご丁寧にも親を迎えに行ったのは俺だった。
嫁は「親が迷うといけないから迎に行けばいい」と言ってくれた。
嫁は起き上がるのでさえ冷や汗が出て冗談でなく五分ぐらいかかる
というほど痛かったらしいが
普通に歩いてる(ように見えた)姿を見て、俺はすっかり気遣いを忘れてた。
俺の親も多分同じだったろう。
その時は親が俺の子供の誕生を喜んでいるのが普通に嬉しかった。
退院してすぐから嫁は一人で子供を見ながら、家事をこなしていた。
生後二週間の赤ん坊を実家に連れてくるようにも言われ、連れて行くこともした。
(実家は車で一時間半の距離だ)
その後家を買ったら引っ越し祝いをしろと言いバアサン、兄、父母、親戚の叔父夫婦
引き連れてやってきたり、
床の間に飾れとでっかいガラスケース入りの日本人形持ってきたり
初節句は自分たちで人形を買うから、と、でかくて高いだけの雛人形を押し付けられたり
節句祝いと称してまた親戚をつれてうちにやってきた。
いつも一方的に日時を決められていたけど、嫁は「しょうがないよね」と笑っていた。
その年の年末に俺の母親が怪我したために、正月は生後四ヶ月の赤ん坊かかえて嫁が
俺実家で全部支度を済ませた。
俺の実家は俗に言う本家で、親戚も多く大変だったと思う。
ただ、いつもあまりにもそつなくこなすので大変なように見えないから
ついつい油断してしまうんだよ。
母親をずっと見てきたせいか、それがあたりまえの光景に見えた事は事実だ。
月に一度は嫁と子供を連れて実家に行ってた。
嫁がたまにオカズ(バアさんの好物)を作って持っていってくれたり、
途中材料を買っていって実家で飯を作ってくれた事も何度かあった。
帰るときに山のように土産をわたされて嫁はいつも少し困った顔をしていたよ。
叔母も「○くんの奥さんは料理がうまいねぇ」などと嫁を誉めていたので
俺は自慢の嫁を披露したくて舞い上がっていたと思う。
だんだん嫁の顔から笑顔が消えていったのを「育児疲れ」だとしか思ってなかった。
嫁は実家に対してなにも言わなくなっていった。
自分はうまくいっていると本当に思い込んでいた。
「育児で疲れているんだったら、子供を保育園に預けてみよう」と提案して
俺が会社に行く時に連れて行くことにした。
帰りは俺が遅くなる事が多いので、嫁が結局車で迎に行く事が多かった。
保育園に預けている間も嫁は家事ができなくなっていった。
それをおれは責めてしまった。
「なんで時間ができたのになにもできてないんだ?いったい一日中何をしているんだ?」と。
「自分は育児もできる限り手伝ってるし、保育園にも預けたじゃないか」
「そうまでしてやっているのにできないのはおかしいだろう」
「今までできていたのに、何で急にできないんだ」と。
普段はきれい好きでいつもスッキリしていた家の中がだんだん散らかっていき
食事も雑なものになっていったのが俺は気に食わなかった。
「でもできないんだよ。頑張ってもできないんだよ!!」
と叫んだ嫁は泣く事もできなく、ただぼんやりとしているように見えた。
そしてある日、嫁は子供をつれて自分の仕事場がある家に帰ってしまった。
電話をしても「声を聞きたくないからメールで話す」といわれるばかりで
話し合いにもならなかった。
嫁と子供が居なくなってからその時になって
無くしかけているものがどれほど自分にとって大事なものだったか
嫌になるほどわかった。
三ヶ月した頃に嫁から長い長いメールが来て、
俺の親がやっていたことは嫁にとっては嫌がらせ以外の何物でもない事だったとわかった。
俺は本当にうかつだったと今ではつくづく思う。
ひたすら自分を責めて、残りの二ヶ月間謝りつづけた。
今は家に帰ってきたら家の中に明かり付いていて、温かくて、
できたての飯にありつけて
嫁と子供が笑って「おかえりー」と迎えてくれる。
幸せだとつくづく思う。
嫁が本当に頑張ってくれたんだと思う。
これからは、とにかく嫁を守っていこうと思っている。
二度と手放したくないよ。
とりあえず、これが今までの経緯だよ。
長くなってごめん。
質問いい?
親や親族への対処法は?
特別に何かしている?
今では親のアポなし突撃を止めさせて
嫁に直接連絡が行かないように携帯を変えてもらって
とにかく俺が嫁の防波堤になる事にしている。
俺は次男なのたが、嫁に「遺産放棄してもいいか?」と相談したら
「私はそれでいいと思う。財産は自分たちで築いていくべきだよ」といわれたので
親にもそう伝えている。
今後子供の行事は地雷になる事間違いないので
親を関わられるつもりは一切無い。
できれば、自分の親とどういう風に絶縁(してるのか?)に
至ったのか書いてはくれまいか?
そこが一番有益な情報だと思うぞ。
それだけの仕打ちをして、なおかつ許してもらえたってのは何をしたのか?
そのコツがわかれば世の中から「逃げられ男」はひとりもいなくなるはず。
ノーベル平和賞ものの発明をしたはずなんだぞお前は。
絶縁はしてないんだ。
嫁がそこまでするつもりは無いと言ってる。
たまになら孫にも会いたいだろうから、連れて行ってもいいと言ってる。
ただ、嫁の具合が悪くなる事が多いので、俺だけ実家に顔を出す事もある。
嫁が起きてきたのでいったん落ちる。
できるだけ質問には答えるようにするよ。
明日になると思うけど。
聞いてくれてありがとう>>ALL
嫁さん、片親だから実家にも頼れんのか?あー、堪らん。うつだ。
こりゃあ関係改善の参考にもならんな…。
ひたすら嫁が、今も譲歩し続けている話だ。
この嫁だから、の話だ。
611の対応が良かったからじゃない。
そしてこれでは終わらない。
反面教師にはなるかもな。
どれか一個同じ事をしたら逃げられだろう。
ああ、嫁さんに儒教の国の血が流れてるのが大きかったりして?
片親の経緯はわからんが、目上の親族は「立てるもの」だと擦りこみされてるのかもな。
>>767
同感だな。自分の娘だったら、相手と相手の親ぶん殴って連れ戻すだろう。
>>775
俺もだ。多分、殴るし娘が嫌がっても連れ戻すだろう。
その前に、結婚前のごたごたの時点で結婚を絶対に許さない。
661も雛飾りって書いてあったから娘だろ?
娘が同じ目にあっても、まだ絶縁をしないで自分の親に接触させる時点で
娘を連れ戻すな。
何が糧になるか、か。
取り合えず俺の実家で傷付いたはずの嫁が、
何ともなかったのように実家に行ってもいいよ、と言いながら
いざ行こうとすると具合が悪くなる場合は
もう無理ってことだ、一切係わらせないようにしようとは思ったな。
明らかに実家に行く時に具合が悪くなるのを、その時だけの事、
大丈夫だったら連れて行こうと思っちゃいかんな。
そういう事にはなった事はないが。
611嫁受けた仕打ちに並ぶ事はないだろうが、同じ思いをすることになるんだろうな。
嫁がひたすら必死に努力しているって話だ。
壊れる寸前ぎりぎりのところで綱渡り状態だと思う。
これからどうなるかな…。