705: 840 2007/10/29(月) 18:03:59
流れ豚切りで失礼します(*_ _)
旦那に【愛妻】弁当を作っている人 のスレから来ました☆
ある日突然旦那に離婚する、といわれた妻のハナシです。
■離婚の理由を聞かせてください■
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/x1/1119604205/
流れ豚切りで失礼します(*_ _)
旦那に【愛妻】弁当を作っている人 のスレから来ました☆
ある日突然旦那に離婚する、といわれた妻のハナシです。
仕事の都合で 新婚約1年で別居生活をすることになり妻の自分は都会でアパレル会社勤務、旦那はド田舎で公務員をやっていました。
仲はさすがにいいので別居してても1ヶ月に1度はお互いの地に行き来しておりましたが
別居後1年半ほどしてさすがに妻も都会で華やかな仕事で昇格もして順風満帆な状況でも最愛の旦那がいない生活に寂しさを覚え
仕事を辞めて旦那の住むド田舎で夫婦らしい同居生活をしようと決心して 旦那もそれに賛成して色々同居生活に向けて準備していた頃
もうあと一月くらいで同居する段階になっていた頃 突然旦那からの電話で
「戻ってこなくていい」と言われてしまいました。
え?それってどういうこと?と聞くといきなり「うん。離婚する。」と。
離婚したい、から話し合いをしよう、というのではなく旦那からの一方的結論で突きつけられ、
電話を切られてしまいました。
まだ携帯電話が一般普及する前の話です。
ノシ
ついてきてます
705続き
仕事も辞めることになっていた上いきなりの離婚要求でさすがに双方の親も動揺して仲裁に入ってくれ
とりあえず周囲中で旦那をなだめてなんとかド田舎で妻は同居生活を始めました。
妻にとっては自分の長い人生を天秤にかけて 都会の仕事で成功して生きることを選ぶか ド田舎で公務員の妻として地味に暮らすか 考え比べて
ド田舎のおっかちゃんで生きようと決心した直後のことだったので…
むしろ以前の結婚式当時よりも本当の意味で結婚する気持ちでいたので、
同居していてもいつもふてくされた顔でいる旦那に酷く悲しい気持ちで接していました。
そんなことになったのは離れて暮らした自分のせいかと考えたので。
だから家事も必死に完璧にやろうとしていました。
特に料理は元から得意だったので 旦那一人の給料でもやり繰りして毎日おいしいご飯を用意していました。
もちろんお弁当も毎日欠かさずしっかり作っていました。
しかしそのうち旦那は弁当箱を持って帰らなくなりました。
旦那は離婚したいあまりに 妻の怠慢を理由にしようと「妻が家事をしない」と周囲に訴え
せっかく作ったお弁当は捨てていたようでした。
ある日車の中に中身の入ったままのお弁当を発見して初めて妻はそれを悟りました。
捨てられた(帰ってこなかった)弁当箱は17個。
旦那は実は(やっぱり?)妻との別居期間中に浮気をしていました。
浮気相手と再婚したくて離婚を強請してきたのでありました。
…自分の人生を天秤にかけて 仕事より結婚、旦那を選んでいた妻にとってはそりゃそりゃ衝撃でしたorz
>>706>>707ありがとう 長くなるし文章タヘだけど我慢してね(´・ω・`)
708続き
…どうしても離婚したい旦那との同居生活は 離婚に同意しない妻をどうにかしてあきらめさせようと毎日酷い言葉の暴力が続きました。
公務員だったので物理的暴力はヤバイと考えたようです。
そのうち悪意の遺棄というのでしょうか 存在を無視するように 家の中で言葉を発するな、家の外にも買い物などの必要以外一切出るな、
土地の住人とも一切付き合うな、とだけ命令されました。
人口1000人もない村でした。多分、旦那は私の存在を知られる前に離婚にこぎつけようとしたんだと思います。
妻の人格は完全に否定されました。
妻にとっては知る人の一切いない見知らぬ土地での軟禁生活。
最愛だった旦那に虐げられる毎日。
でも、それまでの人生で一番大切にしたい人になっていた旦那だったので、どうしてもいう事を聞いて離婚してしまいたくは無い。
「浮気」の事実をそのときも認めたくなかった妻は必死に耐えてました…
でもある日旦那は家に帰ってこなくなりました。
旦那は村はずれに一軒家を借りて勝手に別居生活を始めました。
そして離婚調停の通達が来ました。
もちろん妻の生活費など与えられません。
やむなく妻はウエイトレスなどのアルバイトを始めました。
しかしある日 アルバイトから帰ると家は荒らされ 家財道具の半分を持っていかれていました。
カーテンも布団も何も無い。
…冬にはマイナス30度にはなる北海道の寒村でのことです。
>>709ごめんなさい 長いのでどうも遅くなる…(><;)
710続き
…なんとかストーブは持っていかれなかったのでその夜は新聞紙を身体に巻いてオ-バーコートを着込んで寝ました。
その頃はもう離婚調停は不調に終わっていて離婚裁判へと移行していましたが
裁判所でも「離婚したくない」側の私としては旦那の暴力などは詳しく訴えることは出来ませんでした。
…お金の無い自分は法律扶助協会を経て無料の弁護士さんに色々教えていただいていましたが その辺のことを詳しく語ると
「破綻してる」と受け取られて不利になるようだったので。
もちろん旦那の浮気の事実についても、興信所を使って証拠になるものを押さえていましたがそれは最後まで出せませんでした。
…興信所からの報告書、貰ってからは3日間寝込みましたけどorz
711続き
旦那には小さな部落内でも自分を優位にさせようと 私については酷い噂を流されました。
都会でアパレル勤務、時にモデルもやってた妻はド田舎では奇異な人物に見られ易かったようで…
「実は都会で風俗勤務して男遊びも酷く、やたら服を買い込んで散財はするは酒乱だわで手がつけられなかったから離婚するんだ」
周囲にはそんな風に通していたようでした。
実際は旦那一筋のうぶ?で健気?な奥様だったのにねorz
田舎のヒトは公務員様の仰ることは信じ込むようで 凄まじい噂で殺されそうになりましたよ…
人権侵犯なんて考えもしない人たちでした。
それでも 帰ってこない旦那でも 彼の住む地で彼の近くで暮らしていたくて
マイナス35度になったときもありましたけど たった一人で4回、クリスマスとお正月を越えました。
寒かったなあ(泣
一応、生活費は裁判(これについては別件で訴えを起こす面倒があったけど)で婚姻費用分担の法、に従って月に6万5000円、旦那から振り込まれるようになっていましたが。
これが全てで 生活費・裁判費用・交通費を捻出するのにも苦労しました。
自分の親も片親で援助は求められなかったので…
小麦粉ひとつでうどん・すいとん・ホットケーキ・お好み焼きなどありとあらゆる料理をしてましたね
その土地にいる間は一度も白いご飯は食べられなかったです。
かびた?ひじきを炒めて食べて食中毒にもなりかけましたけどw
命がけで料理をしていた時期があったので 料理が得意なのは役立ちました。
…未だ一緒に住んでいた頃、別れたがってやたらに虐待されてはいましたが
ただ一言悔しそうに「…お前の料理は美味い。」と言われたのは 皮肉だけど自分の誇りですw
終わり??
↓について聞きたいんだけど・・・
713続き
…結局、離婚調停を起こされてから3年位かな?(何分昔なので;)
最高裁までもつれ込んで旦那は敗訴、私は別居していても名義だけの妻の座を勝ち取りました。
最高裁は文書だけの争いになるのであまり実感はなかったですけど
地方裁判所の若い裁判官より 高等裁判所で熟練した感に満ち満ちている3人の裁判官の前で
「ボクの策略は完璧でぇ~す」てな表情でニヤついた旦那の顔を見た瞬間、
私の恋は死にましたorz
…なんて言うか、好きなヒトを見る時ってバカになってるから ついホンワカその人の周りにピンクのオーラが見えるって言うか
そんなひいき目の感情こもるでしょ
それがあの瞬間 パッと宙に散って消えちゃったんです(*_ _)
…ああ、奴は何も大切にすべきでない、ただの嘘吐きの卑怯者だ
そんな当然のことにそのときになってやっと 馬鹿な私は気が付きました。
私が悪いことをして離婚を強要されたわけじゃないので最高裁で勝っただけの名義上だけの妻、でもしばらくそのまま放置しました。
その頃には婚姻費用分担の法、も旦那の所得から計算しなおされて月82000円、名義が妻でいる限り支払われることになっていたし。
高裁で勝って、最高裁の審判が下されたのは調停を起こされてから4年は経っていたかな。
そのちょっと前 恋が死んだ、と感じた頃にはもう私はド田舎を引き上げて自分の生地たる都会に戻ってきていました。
なんか「卒業」って感じだったなぁ…
715続き
>>714
長過ぎてごめんね;
結局、食事の支度をしていることや浪費散財・男遊びをしていないこと等は
裁判の場では言っても口先だけととられて証明が出来ないものなので
[マイナス30度以下に冷え込むド田舎の寒村で、たった一人で車も持たず倹しい生活を4年も続けている]という凄まじい事実で証明するしかなかったです。
…そんな生活を続けてたから、最初バカ旦那の言うことを信じて石まで投げつけてきた部落の人たちも何気に
「旦那の言ってる事おかしいんじゃね? てかいっつも一緒にいる女怪しいだろ!」
と見るようになってました。
でもまー他人事ですから茶飲み話のタネにされるくらいでしたけどね。
だ~~~れも田舎じゃ助けてくれなかったよ。・゚・(ノД`)・゚・。(当たり前か)
…最終、最高裁の審判が下されてから2年位してからもう一度旦那(側弁護士)から離婚について打診されてきました。
以前は「とにかく離婚させろ!」というもので訴えの内容は私から慰謝料取りかねない勢いでしたが、さすがに最高裁で勝利した結果が有るだけに
「・・・慰謝料払いますから別れてください」
て感じに変わってましたw
意地で妻の座に執着するにももう奴には愛想も尽きてたしもういいかなと。
今度は家庭裁判所で 家庭調査官?を相手にいろいろ慰謝料額について相談となりました。
…それまでの経緯を話すとその家庭調査官さんが目に涙をためて
「あんたこんだけのことされてきてそんな低い額で納得したら駄目だって!!!」と力説して
やたら慰謝料額引き上げてくれたのにはビックラこきました
マジっすか?(゚Д゚ノ;)ノ
て感じだったですw
…多分、婚姻期間2~30年クラスの額をいただきました☆
お金なんてどうでもよかったんだけどなぁ
お疲れさまでした。大変でしたね。
旦那が生活費を払ってくれなくて立ち行かないから
外にでて働いてしまう…というのは、
もしかして妻が損になるんでしょうか。
我慢して家にいたほうがいいのかなぁ
717続き
もう10何年も前の話です。
今なら、法律も改訂されて元旦那のような横暴な離婚強要でも何年か別居生活をしていれば
通る時代になってしまいましたけど。
元旦那とは 離婚する!と言い出されてから本当に一度もまともな話し合いは出来ませんでした。
…向こうが逃げる。
そりゃ浮気したから離婚したいって言い出してんだから聞き込まれたらヤバイから逃げるしかないかw
…私の旦那様?への恋はこうして無理やりに殺されました。
…最後の最後には、私は嘘はつかなかったし旦那の立場も貶めないように浮気の事実も周囲に晒さずに
全て耐えて全て正直に頑張った!!って思いだけが残って、ある意味虚しいけれど清清しかった。
…社会経験も少ないまま就職した元旦那は、同じ志で職を選んだ職場の同僚の女に本当に恋をしたんだと思います。
それならそうと、正直に打ち明けてくれればこんなに時間がかかることはなかったのにと今でも思う。
確かに当時なら泣いて元旦那を責めただろうけど、
ただただ大学時代から一緒にいて結婚になだれ込んだ?自分より 本当の恋愛感情を抱けた相手になら自分も少しは時間がかかっても許したような気がします。
今思うと私も本当に元旦那自身を理解して愛していたわけでなかったし。。。
その後は 自分は味覚の感性を生かしてバーテンダーをやっておりました。
若い女性客に色々恋の相談などもされてましたw
恋は一回死んだらもう元に戻ることはないんで それなら今の思いを大事にイキロと。
どんな状況でも本当に好きな相手にはベストを尽くせと。
ただしどこかに嘘偽りがあると必ず自分に災いが返ってくるぞと。
40代半ばになった元ボロクソ妻は色々語っておりましたw
…今はなぜか10歳以上年の離れた彼氏君と一緒に暮らして既に7年。
青春を再び謳歌させていただけてシアワセであります☆
おしまい♪