長くなるけれど書き捨て。
初カキコなので読みにくさとかはご容赦を。
長期の休みが終わりに近づくと苦しくなる。
小学生の頃、友達が友達をいじめ始めた。
仮にいじめる側をA、いじめられる側をBとする。
Aは常日頃から私もいじめに加わるように言ってきていたけど、私はなんだかんだ言ってどっちに付くこともせず逃げ回ってた。
ある日、Aと取り巻きが私を人目のない階段の陰に連れ込んだ。
「私ら友達じゃないの?」「私のこと好きなん?嫌いなん?」って問い詰められた。好きって言ったら私もいじめにつかなきゃいけない流れになることはわかりきってたから咄嗟に「嫌い」って言った。
Aは私を一発殴って教室に帰っていった。
取り巻きは「大丈夫?」って声をかけてくれた。
そこで私もわれに返って、ああ酷いこと言っちゃった、って思ったから、
「大丈夫、ごめん」って言おうとした。
でも取り巻きは遮って「泣いてうちらのせいにするなよ」って言い残してAを追いかけていった。
休憩時間が終わっても涙が止まらなかったけど、授業がとっくに始まった頃にようやく教室に戻った。
泣きながら教室に入ってくる私を見てクラスメートはなんかざわざわしてたけど、担任は何事もないかのように授業を進めてた。
あの時の異様な空気感は今でも思い出せる。
そこからいじめのターゲットは私に移って、Bも私と同じことを言われて受け入れたようで、私をいじめるようになった。
黒板用のでかい三角定規とかで殴ってきたこともあった。辛そうだったから本心じゃないことはわかってた。
でも相当応えたのかそのうちBは学校に来なくなった。
それからも、シャー芯腕に刺されたりとか髪の毛に色付きマジック塗って消えないからってその髪抜かれたりとか、色々やられた。
なぜかまだ友達ヅラして、取り巻きと喧嘩するフリして見せて、どっちにつくのか答えを強要してきたこともあった。答えると笑われた。
いじめのことはうまく親に言えなかった。
「学校行きたくない」って言うのが精一杯だった。当たり前だけどそれじゃ伝わらなかった。
親は共働きだったし、自閉症の兄がいて大変なのはわかってたから、それ以上何も言えなかった。
母親は「お兄ちゃんには普通の人よりも手を差し伸べてくれる人が沢山いるけど、貴女はそうじゃない。実は貴女の方が心配なんだ」と言ってくれたことがある。
でも親に余計な心配の種を背負わせるのは嫌だった。
先生にもまるっと無視されたきりだったから、わざわざ大人にいうほどのことじゃないって思い込んでた部分もあった。
祖父母も同居だったけど、風邪でも何でも学校を休んだら祖父の説教が待っていた。家でも学校でもいじめられるなら同じだと思った。
そのうち兄がいじめを受けた。その時は親が色んな対処をしたらしい。相手が家まで謝りに来ていた。
いじめって親に言うべきなんだってその時初めてわかったけど、その頃にはもう昔のことだし、と思って何も言えなかった。
相変わらず仕事や兄のことで手が掛かるってわかってたから。
でも高校二年の時、私も発達障害の特性が強いことがわかった。
相談員の先生に言われたことで思い当たることが沢山あった。
今まで兄のために我慢してたのは何なんだろうって思ったけど、結局は私のほうが軽いんだから、結果は同じことだったと思う。
でもいじめのことは変わらず何年も夢に見るくらい引きずって、ようやく父親にさわりだけ話したことがある。
小学校の頃はいい思い出が無い、って言ったところで、「祈りが足りないから」って笑われた。
宗教やってる人だから仕方ない考え方かもしれない。
でもこんな考え方の宗教をやってる両親は相談事ができる相手じゃないって思った。
今も長期休みの終わりが近づくと怖くなる。
今は大学生。
皆大人だし、Aも取り巻きももう周りにはいない。
もうあの時みたいな幼稚ないじめなんかない。
わかってても気分が重くなって涙が出てくる。
身体は疲れてないはずなのに電池が切れたみたいに動けなくなる。
母親は仕事の関係で精神医学も少しかじっている。
相談してみようかとも思うけど、その気力もない。
すべてを話すには内容が多すぎる。
>>934
別の、精神保健を修めた人に聞くのじゃダメなのかなぁ
他ならぬ自分の親に慰めて欲しい気持ちは、も少し我慢して、も少し自分の味方が増えてからで良いのじゃないかなぁ
かつて父に言ってみた時に伝わらなかったやるせない気持ちを理解できるひとが見つかってるのかな。見つかった上でそうしたいのかな。
もしも、
親は自分の気持ちを理解した時に知るだろう、親はあなたに申し訳ないという気持ちを抱くだろう、抱くに違いない、いだかせたいから理解して欲しいのだ…みたいな断罪したい欲があったりするなら
両親の罪を問う地力を養ったのか準備は万端なのか?
万端じゃないなら、両親は相談事ができる相手じゃないって思ったそのあなたの感覚を信じて。
あなたが信じまたあなたを信じる人と交流して両親の知らないところで自分で自分を育ててから、対決しても遅くないと思った。
信じられる人、あるいは同志。大学の教育学部とかだと特にパリピに見えても昔いじめられてた人が少なくない。みんな戦ってる。