希望したから全学年担任させてもらったけど、
六年生二回担任したあと、今年は特別支援学級に行きたかったけど3年生の担任になった
まず、六年と五年が辛い。次いで一年、あとはわりと平和。
その中でもまあ二年と三年が楽って通説だからラッキーくらいに思ってた
学年主任とは、その学年のリーダーということ。
基本的に辛い。けど、教員なんか自分の学級さえうまく行ってればなんとかなる自営業みたいなもん。
ある意味かなり楽観的に4月を迎えた。
4月1日、同じ学年を組む教員に会ってその夢も儚く崩れる。
一人は、学校の中どころか市内でも有名な学級崩壊のチャンピオンのババア、もう一人は大学を出たばかりの新採だった。
ヤバすぎ
よろしくね~と笑ってヘラヘラしていた。
若者の男は、よろしくお願いします!と叫んだきり机に良い姿勢で硬直してる。
俺は「じゃ、自分のこと(教室移動など)やって、二時間後に集まりましょう!」と言った。
俺は自分の旧教室の片付け、新教室への移動、他の人の手伝い、、とヘトヘトになって二時間後に職員室に向かうと、彼ら二人は職員室でさっきから1ミリも動かす世間話をしていた
「教室大丈夫?」と声をかけると、
「なにもないんです!棚とか、色々、買いに行きたいんです!」
と言うので、
「、、そう、昼いけば?」と言うと、
「車がないっす」
結局、車出してやってダイソーとホムセンに行き、彼の買いものを見守って、メシおごってやって帰った
4月5月はまあおかしくはならなかった。
手前味噌だけど、俺が頑張った。
分かりきったことだな
他の教師を育てられないからだ
全て1が悪い
プール指導って、教員でかなり割り当て考えないとできないんだよ。
誰がこの日は全体指示する、準備体操をする、救護をやる、、とか
その打ち合わせをしたい、と言っても、定時をすぎるとババアも若者もいない。
俺がミニバス教えてたからゆっくり話せる時間も定時ギリギリなのも悪かったけど、何も言わずに帰らないで、、とも言えず、打ち合わせゼロでプールの授業が始まった
どうやら、ババアと若者のクラスは連絡帳にプールの用意と書くのを忘れたらしい。
突然、ババアと若者はメガホンを取り、道具を忘れた子に激しく叱責しだした
かなりやばいな
馬鹿正直に水着の子は寒かったろう。
それを、俺はひたすら眺めるしかなかった。
若者が通知表のことを聞いてきた。
わからないときに聞けるのが大切なんだよ!って懇切丁寧に教えた。
そして、管理職へ通知表提出のその前日、
「じゃ、学年で通知表見合いましょう!」
というと、
若者「早くないっすか?」
俺「え?まだ時間ほしい?直すとこあったら一緒にやるよ?」
若者「いや、今から打つんすけど」
俺「え、一文字も打ってないの、、」
ババア「ふざけないでよ!あんたら何してんの!もう勤務時間外よ!」
通知表は、どんなに頑張っても一人30分はかかる。明日提出しないと学校がなりたたなくなる。明日も授業がある。
結局、その日は徹夜で若者くんと通知表を打った。っていうか、ほとんど俺が隣のクラスの通知表を書いた。
草ァ!
「もう新人じゃないから、頼りにしてるよ!」と若者に言うと、
「いや~、いや~、」と意味不明な答えしか返ってこない
彼は、授業の用意も何にもしないから板書(黒板に授業の要点を書くこと)ができない。
なので、授業はみんなで教科書を音読するだけ、余った時間は外で遊部→自分はいい先生って感じになってた。
二学期になっても子供のノートは真っ白のまんま
流石に親からクレームが来る。
けど、彼は定時で帰るから電話を取った人が平謝りする、その苦情を俺が受ける、って流れができてた
怯えで支配するタイプのババアだった。
それでも、一学期の間は子どもも我慢する。
二学期から、ほぼ男子全員が廊下に出て好き放題するようになった
面倒くさいタイプのクズだな
「あのxxって子はほんとに言うこと聞かないのよね~」
「そっすね!」 ってやり取りをしていて、逃げ出したなった、
「お前らの指導力が足りないからだ!」って叫びたかったけど、、
お前自身が面倒くさそう
近所の小学生から「働いてないけど先生よりも教え方うまい」って言われる
せめてフリーターになってから言え
働けよ
「仕事、うまくできてる?俺はこういう本参考にして板書してるんだ、、」って
あげるつもりで本を渡しに行ったとき、
彼の机の隙間に、一学期のテストの束が見えてしまった。
追求する気力もなかったけど、彼は板書も取らせない、テストをさせないで主観と印象で成績をつけてたことはわかった
学年主任なんだし
講師経験あるならまだしも完全初見なんだから何がわからないのかわからない状態ってのもあるで
ちなみに教師は残業代はつかない。
若者とババアが五時に帰る中、毎日十時まで頑張った。
誉めたりしないからな効率悪いだけだよ
まあ小学教師って変なやつ多いもんな
ババアはそれを未だに根に持ってるらしいが、子どもが可哀相だから後悔はしていない
よくやった。見てみぬ振りが一番ダメ
若者のクラスも、二学期には秩序が無くなり、イジメがはびこってしまう。俺も、イジメは放っておけない、だから一緒になって考えた
本当に周到な用意が必要だから一緒に考えよう、
色んなパターンを考えようって毎日話し合ったつもりが、
若者は、彼がいじめっ子だと思った子をみんなの前で立たせて、いじめられてた子に土下座させた。
実際は、土下座した子はいじめっ子ではなかったのに彼があまりにも激しく「土下座しろ!」と言うのでしたらしい
管理職と一緒に、夜中まで校長室で対応した。
若者は定時で帰ってるから、事後報告でいつも通り伝えた。
家に帰って布団に入る、眠れないけど動けない、気づいたら寝てる、起きれない、遅刻ギリギリで職場につく、若者とババアの面倒見る、十時ごろ帰る、、って感じ。
あと、学校って会社員と違って朝早いんだよ。七時には全員営業時間で六時とかから働いてる人もいる。
突然若者が学校に来なくなる。
三日ほど無断欠勤したが、子どもはいるから
俺が自分のクラスと5分交代で見に行ってなんとかやってた。
自習課題も全部俺が印刷した。
ババアは「大丈夫かしらね~」って言いふらすだけで何もしない
前のレスでもあったけど、
新人を育てられない俺が悪いんだよな。
彼でも働ける環境を用意できない我々が悪かったって管理にも散々言われた。
彼のクラスは教頭や教務が担任したが、ノートを取ったこともない子らをもう一度学びの姿勢に向かわせるのは大変だったろう
あのときああしてくれなかったのは何でですか、とか、
あれさえしてくれれば僕は教員を続けられてたのに、とか、
恨みつらみのメッセージが来る、
4年になって先生が変わってからはそんなことする気が一切なくなったわ
本能的に3年の時の担任のやり方が嫌いだったのかもしれない
同情はするけど子供のことを考えるとイッチも許せんな
自分のクラスの子の責任は持つ。
だけど、一人の人間が負えるキャパシティとして、
他人の成長まで背負える自身がない。
俺にこれ以上どうしろと言うんだ?
普通物を教えるときって自分はどういう風に教わったかとか考えて
目上の人と相談したり、試行錯誤するもんじゃないのかね
小学校なら教育学部→教育実習もあったはずだよな
むしろ、自分の学級に専念できた唯一の期間だった
自分は、別れのとき全く泣く気無かったんだけど、子どもたちが泣いて初めて貰い泣きしたわ。
いっつも夜遅く帰ってきてくたくた、年寄りなのにかわいそう
これは明らかにシステムが破綻してない?
手を打てたとすれば一学期の早い段階で上に助けを求めるぐらいか。
はっきり言って障害持ってる人がまともに教師勤まるはずないし。少子高齢化で学校の数減らして、
一人当たりの仕事量も構造も改善されるといいね
学校の数だけ減らしたら教師一人が担当する児童生徒の数は増えるんじゃないの?
学校が減っても教員数そのままなら、
一人当たりの児童数は変わらないし
校長・教頭などの管理職は半分にできる。
さらに建物自体の維持費はかなり削減されるだろ?
文部科学省が公立の義務教育を改革するつもりは無さそうだし
ただの妄言だけどな。
勉強さえ出来れば教員になれるから本当に主みたいな先生には教員続けて欲しい
勉強面と生活面の担任2人体制にするわけにはいかないんだろうか
まともな先生には1人では負担が大きすぎる
自分の始めて受け持った学年は3年生でした。
あまり言うと身バレするので、伏せますが教育実習は卒業校で元担任が担当で。
赴任校は親が異動で出ていった直後に2年から持ち上がりクラスを自分が受け持ちました。
叔父も市内で教員だっこともあり何とか一人前になりましたが、その担当児童の卒業と同時に退職して塾講にはなりました。今の学校は次世代の先生を育てる気(余力)がないと思います。
ただ感じたことは3年生は簡単ではなく非常に学級崩壊しやすいお年頃だと思います。反抗し始める子供と今までの子供が混在し始めるので難しいですよ、
もしかしたら1もでかい闇があったのかもしれない
ババアと若者は確実にクズだろうけど
子供のせいにした時点で教師として終わってるわ