プチネタですが…。
私が通っていた小学校のパンはありえないほどマズかった。
まるで胃薬を練り込んだようなケミカル臭と、転んだときに
口に入ってしまった砂の味、好奇心でなめてみた鉄棒の味、
をミックスさせたような感じ。しかも、パッサパサで、口の
中の唾液がすべて持っていかれた。
当然みんな残す。先生も食べたふりして隠す。なのに生徒には
「残すな」と言い、放課後に全員の持ち物検査までやっていた。
掃除道具入れやいろんな子の机の中から発見される色とりどりな
カビパン。私はといえば、辞書でぺちゃんこになるまでつぶし、
ランドセルの底に敷いてその上に教科書やノートを入れ、先生の
目をごまかして持ち出し、神社の鳩や鯉、犬や猫に食べさせていた。
(鳩と鯉は食べたけど、犬と猫は食べてくれなかったww)
ある日、ランドセルからパンを発見した母親が「なんで食べなか
った? 戦時中は食べるものもなくてうんたらかんたら贅沢な!」
と激怒。私が涙目になりながら「それだけは無理…」と言ったら、
母親が、パンをちぎって口に入れた。そしてすぐに吐きだした。
「な…!なにこれ!? 人間の食べ物じゃない…」
母親は料理人。料理人になるまえに、全国を食べ歩いたほどの人。
激怒の矛先が学校に変わった母は、すぐに学校には言わず、まず
は母の店の常連だったPTAの人たちにこの話をして、PTA会議を開
いてもらうよう要請。その場で、あらかじめ子供たちから集めて
おいたパンを保護者みんなで食べる。あまりのマズさに全員絶句。
結局、PTA連名で学校へ話が行き、学校と業者間で話し合って、
とりあえず食べられるレベルの味には改善された。
もし、母がカッとなって学校にねじ込んでいたら、モンペ扱いで
処理されたかもしれなかった。(昔は学校の方が強かった)
給食は、限られた予算で栄養重視だから、味が二の次になるのは
わかるけど、ちょっと許容範囲を超えすぎていた。
あの物体の味は今でも覚えてる…。
>>618
それ多分、タダ同然のいたんだ小麦粉に防腐剤や栄養剤添加してる。
戦後はアメリカの家畜用の小麦粉が大量に入ってきたからな。
敗戦国としては従順に従わなければいけなかったんだな。
>>618もつらい時代を生きたわけだ。
>>622
∩∩
|・x・) <昭和38年生まれです…。