元カレがDVののヒモ男、通称クソ人間でした。。
そもそも私の実家が虐待する家だったのだが、19才のある日家を追い出され、
当時付き合ってた彼氏にそれを話したら、
「彼家(実家)に来ていいよ」と言われたのが不幸の始まりだった。
彼家に住み初めて数日後、突然彼氏が会社を辞めたと言い出し、
「なんで?」と聞いたら、「一緒にいたいから」との答え。
一瞬「ん?」伴ったが、当時の私は少しうれしかった部分もあった。
しかし、そこからは私の稼ぎを当てにするようになっていった。
その当時、私は昼職と夜職をしていたが、ある日、夜職のあとすぐ昼職に行く日があり
彼氏を起こさないように、
制服を取ってそのまま出勤しようとしたところ、その時の音で起きてしまったらしく、
玄関で靴を履いていた私をひっつかみ、そのまま部屋へ引きずり込まれ、
会社に出れなくなるくらいまで殴られた。これがDVの始まり。
結局、昼職の職場が彼家から遠くなったこともあり、私も昼職を辞めてしまい、
以後昼職の給料を貯金し夜職の日当を日々のの生活費にした。
「食べ物買って」、「服買って」は当たり前、
夜の仕事は続けていたが、職場に電話が来て
「飲みに来てるから飲み代くれ」とその日の日当を持っていかれることも多々あった。
足りない分は、昼職の貯金から補填していたので、底を着いたのは間もなくのことである。
夜は門限が設けられ、夜職の付き合いなど行った日は必ず殴られ、無段外出が禁止となった。
その後友人から聞いた話で、私は通称「籠の鳥」と言われていたそうである。
続き
彼氏はプライドが高く、器も小さかった。
彼氏の友人・先輩のバスケの集まりに参加した時、
たまたま先輩の投げたボールが私の顔面に直撃した。
友人・先輩は「大丈夫?」と心配してくれていたが、
泣くつもりはないが、痛みで勝手に涙が出てきた私に彼氏は
「先輩の前で泣くなよ」ばかり。
私が成人式の時は、付かず離れずの距離で車から監視されていて、
高校の男子の同級生と話しているとクラクションやら叫び声で遮断されていた。
当然クラス会にも参加できることもなく、帰宅後殴られた。
彼氏と付き合う前に夜職の後に行っていた行きつけの店があったのだが、
彼氏が店を気に入ったのか、ナンパできる場所と思ったのか
その時以降、彼氏の権限で店を出禁になった(彼氏が店にいない日は行けた)。
殴られた回数は数知れないが、ある時私が女友達と遊んでいた時、
別行動で遊んでいた彼氏と遭遇、浮気を疑われ、公衆の面前でフルボッコにされた。
続き
殴られた数は数知れず、彼家で殴られることもあったが、
今思えば何故両親は止めてくれなかったのかと思う。
私が息ができないくらいの状態になった時に彼氏のお母さんが一度だけ助けてくれたことはあったが、
おそらく両親はクソ過保護で彼氏のことは見過ごしててのかとも思う。
彼家にはおばあちゃんがいた。
おばあちゃんはものすごくいい人で彼家では仲良くしていたのだが、
彼氏からは「仲良くするな、関わるな」と言われていた。
あんないいおばあちゃんを阻害する彼氏の考えは理解できなかった。
その後、無職の彼氏が急に羽振りが良くなったことを不思議に思っていた時があったが、
後日手紙でおばあちゃんから免許を取得するお金を引っ張ったとのこと。
そう言えば、彼氏はいつも移動は私の助手席か友人の助手席だったのだが、
実は免許取ってすぐに全損事故を起こし、免取りになっていたのだそうだ。
恐らく、おばあちゃんから引っ張ったお金は、飲み代に消えたことと思う。
続き
その頃、私の実家に呼び戻されたこともあり、
少しずつ距離が離れたと共に、彼氏からの洗脳から解けていった。
あの時の私は都合のいいATMだったのかなぁとか思いつつ、
そのまま自然消滅も考えていたが、ある時家に訪ねてきて、
赤い薔薇の花束(おそらく100本)を出し、
「お前とは結婚すると思ってる。結婚してくれ」と曰ってきた。
既に冷め切っていた私は彼氏を追い返した。
後日聞いた話しで、赤い薔薇の花束は先輩のプロポーズのマネだっとのこと。
今彼氏はどうしているかは知らないが、できれば野垂れ死んでいるかクソ両親の年金を食いつぶすニートとして、世の中から隔絶されたところで過ごしていればいいと思う。
>>737
大変だったね
DV野郎からの洗脳から目覚められて良かった
実家も実家で普通じゃないみたいだけど、
無事独り立ち出来る日が来る事を祈ってるよ
>>747
レス有難うございます。
書き方が紛らわしかったですね。
数年前のことなので
今は毒親とも絶縁し
全てを受け入れてくれた人と結婚しました。
でも、心配して頂けてとても嬉しかったです。
有難うございました。