母と買い物に行った帰りに近所のおばさんと会った。
道端で母とおばさんがおしゃべり始めて、なかなか終わらないので退屈だったから
そこらへんブラブラ探検してたら狭いビルとビルの間で人がうつぶせで寝ていた。
なんか色んなもんが飛び散ってて汚い所で、その人も汚れてたから
起こしてあげたほうがいいのかなと思って、軽く蹴ってみたけど起きないので
母を呼びに行った。
私に手を引っ張られてきてソレを見た母が絶叫。
で、警察が来たりなんだかんだで、世界が真っ赤っかになった記憶。
(パトカーの赤色灯のせいだと思う)
その後、母が死体(それもかなり酷い状態の)を見てしまったことによる
PTSDでおかしくなってしまって結構長い間入院した。
退院してから何故か私は母に避けられ、母は姉ばかり可愛がった。
あとで聞いた話だけど、母は私の顔を見ると思いだして発作が起きるんだったそうな。
当時の私は自分が目撃したものが何だったのか、はっきり理解出来てなかったけど
わざわざ母を引っ張ってきてそれを見せたことが相当ヤバイことだったのは
なんとなく理解できてた。
だから母は私を嫌うようになったんだ、と。
姉からも「あんたのせいでママがおかしくなった」って言われたし。
それで私は祖父母の家に預けられて、そこから小学校にもあがった。
姉とは違う小学校だった。
祖父母はとてもよくしてくれたし、週1ぐらいで父親も会いに来てくれて
ごめんな、ごめんなってよく謝られたのは覚えている。
それでも私は捨てられたと言う意識がすごくあった。
ある時、姉が通っていた小学校の運動会をこっそり見に行った。
父と母と姉が母が作ったらしいお弁当を囲んで楽しそうに食べてるのを見て
近くにあった砂場で、被っていた帽子に砂を詰めて
それをお弁当にバサーーーー!とぶっかけて、逃げるように家に帰った。
それから暫くは記憶はあまりなくて、
中学に上がるぐらいの頃に元の家に戻った。
でも親とも姉とも殆ど口をきかない生活で、
姉は相変わらず敵視してきたし「戻って来なくていいのに」とも言われた。
多分親たちも私を持て余してたと思う。
大学は絶対東京に行くと決めてたので、猛勉強した。
合格して家を出る前の晩に、両親揃ってリビングに呼ばれて
なんか色々言い訳めいたこと言って謝られたけど
だからなに?としか思わなかった。
大学の休みも一度も帰省しなかった。
アルバイトばっかりやってた。
就職も東京で決めた。
たまに父から電話があって、帰省を催促されたり
出張で東京に来るときに会ったりしてた。
結婚も自分で勝手に決めたけど、彼や彼の両親から
結婚式だけはちゃんと呼びなさいって言われて
親族だけの教会での式に両親と姉を呼んだ。
彼には私の幼少時からのことは話した。
一度はプロポーズを断ったので、その時に。
その彼から親にも話はしたらしい。
結婚というものに対して大きな不安があって迷ったけど
彼と彼の両親が本当にいい人で、こんな私でもいいって言ってくれたから決心した。
それでも結婚式に来てもらったからって、
これから普通の親子に戻れるかは別の話。
今、私にも娘がいる。
娘の顔を見るたび、私が何故あんなふうに扱われたのか理解できない。
飛び降り自殺というものがどういうものかさえ何も知らなかった私が
母を連れてきたことがそんなにもいけないことだったのか。
姉はもう30代半ばだが、私が結婚した頃からおかしくなって
仕事をやめてニートになり、ぶくぶく太ってるらしい。
姉も人生狂わされた部分もあるんだろうとは思うけど
姉に投げつけられた言葉は今でも忘れていないので
ざまぁという感情しか湧かない。
自分の実家のことを考えると、自分がものすごく醜くなるのが
嫌でしょうがないけど、どうにもならない感情でもある。
いつか全てを許して会えるようになる日がくるんだろうか。
壮絶だなぁ乙。
私も失礼ながら貴方の母親の行動が理解できない。
自分の子が腐乱死体を見つけたら、トラウマになってないか、なんか変な病気に感染しないか心配になるよ
運動会のくだりで泣きそうになった。
でもまぁアレだな。
いい旦那さんといいウトメに出会えてよかったね。
新しい家族を大事にね。
普通なら>>358みたいな母性が働くと思うんだが・・・。
運動会の話は私も切なくなった。
一人親元に残って、両親と笑いあって過ごしてたのにそこまで恨まれないといけないのか?
飛び降りってことだから、ぐちゃぐちゃ系なのかな?
自分も母の気持ちわからないわ。
いい人に巡り会えたみたいでよかった。
今の幸せがずっと続きますように!