妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。
長文、失礼致しました。
493-494 を読んで自分の子供の頃を思い出した。
情けない話ではあるのだけれど。
俺は5歳の時に母親を事故で亡くした。
母の日に、母に似顔絵をプレゼントしましょうという
行事は当然のように切ないのだが、もっと辛かったのは
教師に代わりに父の絵を書くように言われて、咄嗟に顔が
思い出せなかったことだ。
父が遅くまで俺たちの生活を支えるために必死に働いていることくらい、
いくら幼いったって理解はできる。
俺は、顔をすぐに思い出せないくらい家にほとんど居られない
父に申し訳ない気持ちで一杯だった。今でも思い出すと胸が苦しくなる。
父のことはその時も、今も感謝しているし、大好きだ。
照れくさくて言わないけどね。
今ならパパンのサンタさんにでもなれよ。
贈り物はたった一言でいいからさ。